一陽来復・大安の日に

 謹んで年頭のご挨拶を申し上げます。昨年もお世話になり、誠にありがとうございました。

 習性・習慣のように言葉遣い、用語の選定が気になってしまいますところ、多くのかた同様「人流」には相当な違和感がありました。年の瀬は2年ぶり3人の執行が注目された「死刑囚」を気にし、罪を償ったとしてもこの呼称なのかと思案しておりました。

 駆出し時代以来、官公庁情報を主体に他の媒体が発するものを広く収集・吟味することも常としておりますところ、主要メディアにあっては一面的な情報提供がすっかり確立してしまった印象を深くした1年でもありました。昨年のこの時期、次のように申し上げたことがあります。

(以下、昨年のご挨拶より)
 多くの皆様におかれましても未曾有の大変な状況を経験し、また、乗りきろうとしているさなかであることと思います。生活のため、予防のため、情報収集にかつてないほど力を注いでいるのではないでしょうか。テレビをみたり新聞を読んだりする時間が増えていないでしょうか。このようにして「感染者数」「医療崩壊の現状」につき日々自らの情報を上書きしているのではないでしょうか。

 一方、官公庁が公式に発する情報や政府の審議会情報、国会審議を通じて明らかになることのなかには、テレビ・新聞がまったくといってよいほど報じないものがたくさんあります。まさしく「専門家の見解」に基づき、昨年秋には過剰な対策が見直される観測も多くありましたが、テレビ・新聞の報道姿勢は変わらないまま、この冬を迎えてしまいました。結果的に埋もれていったさまざまな主張を紹介し、メディア自身も多角的な検証・分析を行い、いっそうの議論を喚起し、これらが広く報道されることにより社会全体として「他の選択」が決断できる状況があれば、今ごろはまだマシな以前の幸福が回復できていたものと強く思います。このような独占的立場を「国民に奉仕する」ために用いるのが、本来のマスメディアの役割です。

 市井の一出版社ながら、このことを改めて肝に銘じるとともに、代替的な発信として何ができるのかを考えてまいりました。マスメディアがしてくれないのなら、自分たちでしましょう。常識に照らしておかしいと思ったこと、ちょっとした疑問を感じたことを調べてみましょう。テレビ・新聞以外にも情報はたくさんあります。たくさん集めて、吟味しましょう。考えてみましょう。このような結果得られた自らの判断に基づき、他の人々に迷惑はかけないようにしながら、一人ひとりが自分の行動を決められる社会であってほしいと思います。
(以上、昨年のご挨拶より)

 コロナ禍 “事実は小説よりも奇なり” の事態が続発しており、情報収集に際してはブログ類が参考となります。メディアとの訴訟経験もある植草一秀氏は2021年12月10日付『知られざる真実』で次の図を用い「出来過ぎた偶然なのか」と記しました。ここでは言葉遊び “アナグラム” の1つとしてご紹介しますが、さて。

アナグラム
 小社はおかげさまをもちまして、本日をもって設立より丸7年。今年は8期目を迎えております。ご案内中の壬生真康先生『浅草寺diary 名作散歩で親しむ仏教』“電子英語版” の刊行とともに、リラックス & リテラシーの観点をより強化し、本心からの自己決定を実現できる健全な情報流通に寄与してまいります。本年も変わりませずご指導・ご鞭撻を賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。

 2022年1月20日

LogoColorTextBelow合同会社公硯舎
代表社員  竹内拓生